グローバルキャリア講座

食糧支援で実現する“よりよい世界”

November 18, 2017

11年生と12年生を対象にした今回のグローバルキャリア講座。講師にお招きしたのは国際連合世界食糧計画WFP協会 理事・事務局長の鈴木邦夫さん。WFPの活動や鈴木さんが現在の仕事に就いたきっかけをお話しいただきました。

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「国連で唯一の食糧支援機関であり、飢餓と貧困をなくすことを使命とするWFPの活動を知っていただくのが、私たちの仕事です」と柔らかな声で話しはじめる鈴木さん。

まず“飢餓”とは何なのかを、飢餓状態の子どもの写真や摂取カロリーのデータなどを紹介しながら解説。紛争や自然災害といった飢餓になる原因とその影響、そして根底に深刻な貧困があることを伝えます。

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「今日は、英語の単語を2つ覚えて帰ってください。ひとつは『Vulnerable(脆弱な)』。立場の弱い人が飢餓に陥りやすいということです。対して『Resilient(強靭な)』というのは、外からの力がかかっても壊れずに元に戻る強さです。そのような復元可能な世界をつくっていくことがWFPの使命です」

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WFPが支援している食糧は年間350万トン。日本の廃棄食糧の半分程の量ですが、米や豆・穀類、栄養を補助するサプリメントなどの安全な食糧を提供しています。
また、ただ与えるのではなく、妊婦の栄養指導や母子検診の普及、教育の機会をつくるための学校給食支援の取り組みも行なっています。

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「学校に行くか行かないかで子どもの人生は大きく変わります。WFPが食糧を提供するとともに、技術を身につけて自分たちで稼げるようになり、支援から自立していく。そのように、VulnerableなところからResilientな社会をつくっていくことがWFPの活動の大きな目的になっています」

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日本にいては実感することのない世界の現実を、神妙な面持ちで聞く生徒たち。2つのことばと活動の内容から、“食糧”がいかに必要で大事なことであるかを再認識し、WFPが目指すことへの共感が広がっていきます。

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WFPのもうひとつのミッションである「物流」について、募金活動や広報活動、さまざまなイベントについても紹介し、そうした活動のひとつ『チャリティーエッセイコンテスト』では、玉川学園の12年生が今年の最優秀賞を受賞したことも伝えられました。

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広告で海外と日本を結ぶ仕事に携わり、全く違う分野でキャリアを積んでこられた鈴木さんが、WFPの仕事をすることになったきっかけは仕事で赴任していた中国での体験でした。

当時担当していた商品の販売方法として値上げを提案すると、「それは貧しい農民にとっては死活問題です。それを儲かるからとはどういう考えなのか?」と返され、それまでの考え方が一変。中国の圧倒的な食糧格差の実態にも触れた鈴木さんは、「食糧」について大きな関心を寄せるようになります。
その後ほどなくして、会社員に区切りをつけようと考えはじめたとき、縁があって現在の職に就かれました。

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「私たちは世界をよりよくしていかなければならない。世界はみなさんの活躍に期待しています」。必要なのは、各自が「知る」「調べる」「知らせる」ことだと鈴木さんは言います。
そして、 “世界で世界の人を助ける人になる”ために、国際機関のスタッフになるのはひとつの選択肢であり、そのための入口はさまざまであることを伝えられます。

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「いちばん大事なのは“世の中の人の役に立ちたい”という気持ちです。英語を話すときも、目の前の人にいかに伝えるかという想いが大事で、パッションがなければ英語は通じない。そういう気持ちを持って取り組んでみてくだい」。
将来、国際社会を担っていくたくさんの可能性を持つ生徒たちにエールを送りました。

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質疑応答では、「商売や経済の仕組みを使うことで解決する可能性はないのか?」「紛争を引き起こしている人々に食糧支援をすることで紛争をなくせないのか?」といった質問が上がります。

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講義後も、各国の調査データの信ぴょう性や、日本の廃棄食糧利用の可能性の質問に、実情や背景を交えて答えていきます。生徒たちは、講義からさらに一歩踏み込んだ対話をとおして、メディアや調べ学習だけではなかなかたどり着けない、深い学びを得ていました。

「食糧」という人間にとってなくてはならないもの。その「食糧」をとおして見る世界貢献の意義は、生きる根源に訴えかけるテーマとして、ひとりひとりの心にそれぞれの気づきを芽吹かせていました。

Lecturer Profile
鈴木 邦夫
Kunio Suzuki
東京大学文学部仏文科を卒業、1981年株式会社電通に入社。日系、外資系を問わず、さまざまな業種・業界の営業担当を歴任し、国内外のコミュニケーション、マーケティング計画、実施に携わる。その間、オランダ(1987-1991)、中国(2008-2010)にも赴任し当該地での広告活動にも従事。  2015年3月に退社し同年10月より現職。